開発教育とは(日本における変遷)

 開発教育は、1960年代の南北問題に代表される開発問題の顕在化を背景に、1960年代末以降、その問題の理解と解決をめざす教育活動として欧米諸国で展開されるようになった教育活動です。
 日本では1970年代半ば以降にその萌芽をみることができ、1982年に後に日本における開発教育ネットワークの中心的な役割を担う開発教育協議会(現在の開発教育協会)が青少年団体・市民団体・研究者・実践者などの協力により設立されました。それから約38年にわたり、日本で数多くの実践と研究が展開されてきています。
 ただその間、開発教育の目標は、開発問題を取り巻く社会状況の変化に応じて、変化してきています。1970年代にみる開発教育の当初の目標は、途上国に住む人々の貧困や格差などの窮状を先進国の人々に知らせ、チャリティ的意味をも含め援助の必要性を訴えることでした。しかし、1980年代以降になると、途上国が抱える開発問題の様相とその原因を理解し、問題の解決に積極的に参加しようとする態度を養うことになりました。
 そこでは、開発問題は途上国にある問題であるとの認識を超えて、先進国と途上国といった関係を生み出す社会構造への理解を通して、問題の解決をめざすという方向性が確認されるようになりました。さらに1990年代以降になると、よりグローバルな視点からの開発問題への理解が進み、また開発問題だけでなく、環境問題・人権問題・平和問題・民族問題などと開発問題との関連を視野に入れた開発教育のありようが探究されるようになります。

 1990年代の半ばから始まった開発教育協議会内での開発教育の定義再考の過程は、多くの人々を巻き込み約三年に及びましたが、1997年に次のような定義を示しています。
[開発教育は、私たちひとりひとりが、開発をめぐるさまざまな問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正な地球社会づくりに参加することをねらいとした教育活動です。]
 そして、1990年代後半以降も、開発教育は変化を続けています。社会構造的な認識を実践で深めていくためには、単に伝達的な教育方法で対応できないことは明らかなため、「参加型学習」という方法の開発とそれらの方法を活かした教材づくりやプログラムづくりが進められるようになります。また開発教育は開発問題の深刻さと問題解決の緊要性から途上国の状況に焦点を当ててきたわけですが、国内そして地域の開発問題にも焦点を当てる動きが出てくるのもこの頃です。さらにこの動きは、その後の「持続可能な開発のための教育(ESD)」、「持続可能な開発目標(SDGs)」といった国際的な動きと連動していくことになります。

 以上のように、開発教育は変化を続けています。それは開発問題を取り巻く社会状況の変化に即したものであり、またそれらの問題への教育からのアプローチ方法の変化・進化によるものだと考えられます。ただそのように変化を続ける開発教育ですが、この約40年弱の日本での歴史の中にあっても、その時間を通底する特徴として指摘できることがあります。第一に、市民活動がその始まりと広がりの原動力として位置づけられていることです。第二に、社会適応・順応ではなく社会変革・創造がめざされていることです。第三に、学習と参加・行動との関連が重視されていることです。そして第四に、目標・内容・方法の一体化をめざし参加型の学習方法が重視されていることです。これら四点は、常に社会の変容と教育の変容をめざす市民活動としての開発教育らしい特徴であると指摘できます。 
(『SDGs時代の学びづくり』第13章、P.183~185より抜粋、山西優二)